薬が救うのは患者だけではない
患者と家族、社会に役立つ仕事
中島謙一郎さん
ユーシービージャパンの社員である中島謙一郎さんは、大阪支店でMR(医薬情報担当者)として勤めていた2004年に関節リウマチと診断を受けました。ちょうど新たなタイプの薬が登場し、関節リウマチの治療が進化していった時期に、患者として実感したのは「一つの薬で人生が変わる」こと、そして、「2番手、3番手の薬があることの大切さ」だったそうです。
今とはまったく違う病気だった
――最初に医療機関を受診したきっかけは?
帰省中に足の親指の付け根付近に痛みがあり、歩くだけでも我慢できないほどになり、休日外来にかかりました。改めて、紹介状をもって、当時住んでいた大阪の病院を受診したところ「関節リウマチ」と確定診断を受けました。
――関節リウマチと診断された時のことを教えてください。
目の前が真っ暗になるようなショックを受けたことを覚えています。当時はまだ30代前半で、子どもが幼稚園に通い始めた頃でした。
当時の関節リウマチは、今とは異なり、治療しても不可逆的に病状が進行していく病気でした。対症療法での疼痛抑制が中心で進行は止められない、予後不良で最終的には寝たきりになる病気だと言う認識でした。
薬があるかないかで、人生が変わる
――診断を受けてから、病状や生活はどのように変わりましたか?
指先から徐々に腫れてきて、だんだんと体の中心に向かって痛みが襲ってくる感じでした。その頃は、痛み止めを飲んでなんとか痛みをごまかしつつ、仕事以外はほぼ安静にして、週末はほとんど家で横になっていました。子どもの幼稚園のイベントも小学校の運動会も最初は顔を出すことはできませんでした。
でも幸いに、診断から1年ほどで生物学的製剤を使うことができたのです。すると、劇的に生活が変わりました。手すりに頼らなければ階段を上れないほどだったのが、小走りでも上れるようになり、症状が落ち着くと行動範囲が広がり、日常生活を取り戻すことができました。
――中島さんが関節リウマチを発症した2004年というと、ちょうど生物学的製剤が登場し、治療がガラリと変わっていった頃ですよね。
そうなんです。薬があるかないかで人生が変わることを、身をもって実感しました。発症が5年早かったら、予後は違っていたと思います。
また、大阪時代の主治医の先生は、以前からMRとしてお世話になっていた先生で、「子どもが成人するまでは働けるようにするから」と当初からおっしゃってくれていたのですね。それで、感染症のリスクが上がっても炎症を抑えて、進行を止めることに重きを置いた治療を行っていただきました。
関節リウマチは発症後の一年の病勢が早く関節破壊が進みやすいのですが、その時期に生物学的製剤に切り替えられたおかげで、関節の変形は止まっています。ラッキーだったと思います。
2番手、3番手の薬があってこそ、安心できる
――発症のタイミングと先生とのご縁が重なり、今に至っているのですね。
私の先生は、最初の生物学的製剤をなるべく長く使えるように治療計画を立ててくれましたが、それでも「この薬が効かなくなったら」という不安はありました。現在のように他にも薬の選択肢があると安心感は上がりますが、完全に安心という感覚は今でもありません。やっぱり「急に薬が効かなくなるのではないか」という不安は付きまといます。だからこそ、選択肢が複数あることの大切さは本当に実感しています。
――選択肢が複数あることで不安が軽減されるのですね。
新しい作用機序の薬が出ることはもちろん素晴らしいことですが、それだけではなく、既存薬に続く2番手、3番手の薬も必要です。同系統の薬であっても種類が多ければ多いほど、治療の選択肢が増えます。
そのありがたみを自分自身が病気を通して体感したので、MRとして2番手、3番手の薬も自信をもって紹介することができました。
安全に薬を供給し続けることが、いちばんの“患者さんのため”
――現在は、どのような仕事を担当されていますか?
今は、市販後の医薬品の有効性や安全性を再確認する調査や、治験では得られなかった副作用情報などを集める業務に携わっています。治験は限られた条件下で行われるので、実際の医療現場で使用したときには異なった情報が出てくる可能性があるのです。薬は発売して終わりではないのです。
病気治療のための薬は、一歩間違えると薬害として患者さんやご家族に迷惑をかけることもあります。「それを防ぐためにやれることをやる」を念頭に仕事に従事しています。
――ユーシービーでは「PVS(Patient Value Strategy)」を掲げ、「患者さんのために」ということを常に大切にされています。
製薬企業が患者さんのことを念頭に置いて活動するのはごく当たり前だと考えます。他の業界が「お客様のために」と考えるのと同じように、ユーシービーではビジネスを成り立たせる上で、患者さんのニーズや経験を丁寧にくみ取ることが欠かせません。
それから、私たちが扱う薬という製品はベネフィットとリスクの2つの側面があります。よく薬は「諸刃の剣」に例えられますが、私自身も、治療初期の頃、ある薬の副作用でSJSを経験したことがあります。主治医の先生がすぐに気づき、迅速かつ適切に処置をしていただいた結果、大事に至らずに済みましたが、当時、ストレッチャーの上で「もしかして死ぬかも?」と思った記憶があります。
どんな薬にもメリットだけでなく、副作用という患者にとってデメリットの側面が少なからずあるかと思います。だからこそ、安全性の情報を収集し、薬のプロファイルを整備し、充実し医療現場に提供することにより先生方の治療や処置の判断に貢献し、結果、患者さんのお役に立てるのではないでしょうか。
――ところで、発症当時、幼稚園生だったお子さんはもう成人に……?
はい、大学を卒業し、大学院に通っています。
関節リウマチの患者さんは約70 万人といわれます。でも、薬が価値をもたらすのは、その70万人だけではありません。たとえば、もしも私が寝たきりになっていたら、息子は今で言うヤングケアラーになって勉学も十分にできなかったかもしれません。そうなると、希望する職にもつけず、ずっと家にいることになったかもしれません。
そう考えると、薬は、患者本人だけではなく、配偶者、子ども、親など、周辺の人々の役にも立ち、さらには社会のためにもなります。製薬企業の一員として各自が自分たちの仕事をして会社を維持し、薬を供給し続けることは、そうした広い意味で“患者さんのため”、ひいては“社会のため”になると思っています。
(本記事中の疾患に関する記述はあくまで個人の体験や経験であり、症状や治療の経過・結果には個人差があります。)
JP-N-DA-RH-2200105